りきのほぼ日報

テーマに合わせて500〜800字のコラムを書く。もちろん日報なので平日のみの更新。土日のサビ残はしない主義です。

2019/12/18 映画は開場とともに入場して予告編に備えるべし

普通に諸々疲れた。

書きたいことがなかなか出てこないからコラムのお題決めたったーを使おうと思う。

 

りっきーさんの次に書くコラムのお題は『予告編』です。縛りとして必ず内容は正統派にしてくださいね。

 

ということで予告編について書こうと思う。

ただ1つ問題がある。それは僕自身最近予告編を見ないようにしているのだ。

というのも僕自身体調の関係でしばらく映画を観に行くことができていない。映画館で映画を観なくなってもう半年になる。これまで年間160本以上観ていたこの僕がだ。自分でもびっくりする。

僕は映画館でみる予告編がすごい好きだ。継続的に映画を観続けていると予告編が変わるタイミングにも敏感になるし、ましてや新作の情報は見逃すわけがない。

毎回映画館で新作の予告編を見て次はコレも見に行こうと胸を踊らせるのだ。

 

さてここまで僕の予告編に対する思いを書いてきたが、最近YouTubeで流れてきたお気に入りの予告編がある。

ゴーストバスターズ」だ。

僕は覚えているのだが、約2年ほど前にゴーストバスターズのリメイクが作られた際のファーストトレーラーは不気味な雰囲気を前面に出し、コミカルさが特徴のゴーストバスターズであることを悟られないような工夫が垣間みえていた。その路線は今回にも引き継がれているようだ。ただ今回のゴーストバスターズはホラーというよりかは探検モノ、まるでグーニーズを彷彿させるようなトレーラーとなっている。

 

普段は5秒でスキップする広告も2分間丸々見てしまった。前作のゴーストバスターズでは芸人が声優をやるという珍事により国内では駄作と成り下がった。今作は頼むから芸人声優はやめて本格的なコミカル探検ホラーとしてのゴーストバスターズを見たいものだ。

2019/12/12 なぜ「雨も滴るいい男」?

雨は様々な姿を見せる不思議な事象だ。

季節によって違うし、

時間帯によっても違うし、

降水量によっても違う。

なんなら人によって捉え方が違うため現在では400通り以上の呼び方があるそうだ。

 

僕が雨と聞くとなぜかおしゃれなイメージが湧く。それも大人なおしゃれなのだ。正直理由はわからない。

 

あと雑な話にはなるが、大抵ドラマの不倫シーンなどは雨の日から始まることが多い気がする。あれらはジメッとした雰囲気と雨音によって周りに音が反響しないといったイメージから来るものなのだろうか。勝手な推測なだけに言及されたら困るが、基本的にドラマ内でよくないことをするときは決まって雨の日だ。

 

上で雨=不倫の話をしたばかりだが、逆に純愛的な告白シーンでも雨のカットが多用されている気がする。ただ純愛的な告白シーンで雨のカットが多いのは、純粋に「雨も滴るいい男」というように俳優の顔が3割り増しでかっこよく見えるからな気がする。改めて考えるとなんで濡れた時ってちょっとかっこよく見えるんだろう。普通に不思議だ。誰か知ってる人がいたら教えて欲しい。

 

さてさて今日はわかりやすく駄文DAYなわけだが、たまには純粋に疑問をぶつけてみるのもいいかもしれない。後日徹底的に調べて1本記事を書こうと思う。

2019/12/11 僕のプライベートは何処?

 なんか、全く知らない人と話したい時ってあるよね?

 

本当に友達でもなんでもない人。別に同年代じゃなくてもいい。おじさんでもおばさんでもいい。誰でもいいから静かに僕の話を聞いて何か文句を言うわけでもない人。

 

ああ、体調が崩れてきた。

帰りの電車キツいだろうな。

ちょっと今日は愚痴をこぼすことにする。

 

マジ勝手に人の部屋に入るなよ。

俺のプライベートを確保してくれよ。

実家にいることが疲れるよ。

部屋の掃除?僕だってね、体調が良ければいくらでも掃除をするんだよ。今は体調がめちゃくちゃ限界なんだよ。タバコだって勝手に発掘してんだろうな。マジいい加減にしろよ。俺のプライベートだろう。

 

あああああ

きっちいわ

 

僕は自分のタイミングで部屋の掃除をする。

頻度は少ないし、そんなに綺麗にならないかもしれない。でも僕は自分のタイミングで部屋の掃除をするし、マジで部屋にいるときは誰にも邪魔されたくない。僕の唯一のプライベートなんだ。なんで勝手に他人に介入されないといけないんだ。

 

もう嫌すぎるな

 

こうゆう話って周りの人に相談できない僕はどこにもぶつけるところを無くしてしまう。マジでキツい。でも相談するのもキツい。(←できるようになれ)だからこそ、なんも知らない人になんの文句も言われずに話を聞いてもらいたい時がある。今思えば教会にある懺悔室が1番近い機能を備えているのかもしれない。

 

ああああ

もう嫌だ

 

今日はキツいのが目に見えている。

みなさん、”相談”って出来ますか?

ここ2日仕事が忙しく、ブログの更新をしっかりと忘れてしまった。正直、僕個人としては今日の更新は月曜日だしぬるめの記事を1本書きたいところだ。ただここ数日間僕の中でモヤが晴れないので、今日は真面目にかつ普段より長めに書こうと思う。

 

僕には悩みがある。これは僕が昔から抱えている根深い悩みだ。

 

僕は ” 相談できない ” のである。

正確には”頼ることはできても相談ができない”のだ。

 

お前1つ前の記事と言ってること違うやんけ

いやいや、お前1つ前の記事で「現代において人への相談は気軽になった。LINE1本ですぐ相談できる。ただその代わりに本当の気持ちが減ってきているのではないだろうか。」とか言ってるやんけ!人に物事を相談するの反対派なんだろ!と思う人もいるだろう。

実際僕は自分の内面のことについては人に相談せずに、自分で答えを出そうとするポリシー(?)を持っている。(この変なこだわりについては1つ前の記事を読んで欲しい) コレに関しては紛れもない事実だ。しかし変なこだわりを持っているせいで、人に相談することができないという悩みを抱えるハメに。いや、むしろこんな変なこだわり持ってたら当たり前か。

 

”頼る”と”相談”の違いって?

僕は上で”頼ることはできても相談ができない”と書いた。この”頼る”と”相談”は似通っているようで根っこの部分が違うと僕は思っている。

 

”頼る”自分が出来ない/出来そうにもないことを他人の力を借りて成し遂げようとすること。

”相談”自分一人でも出来ることを他人を巻き込んで解決しようとすること。

 

だと僕は理解している。

”頼みごと”や、”恋愛相談”などの語法を参考にすると余計わかりやすいかもしれない。

どうだろう。僕の語調からも”相談”への偏見がひしひしと伝わってくることがわかるなw

 

”相談”出来ない人って。。。

僕はよく相談相手に選ばれることがある。もともと人の話を聞くのは得意だし、相談されるのは嫌いじゃない。ただどうしても相談する側にまわった場合、自分の意見が薄れてしまうのではないかという嫌悪感に晒されてしまう。

ただ最近、

”相談できない人って実はめちゃくちゃ寂しい人なんじゃないか”

って思うようになったのだ。

 

僕自身、人生を豊かにしてくれるのは人だと常々思っている。それなりに友達も多いし、気軽に遊びに誘える親友も両の手分くらいはいる。

ただ悩み事を抱えた途端、ギュっと目を瞑り両耳を手で塞いでしまう。そして周りにはたくさんの友達がいるはずなのに、勝手に自分だけの殻に閉じこもり、他人の意見を受け付けない。

なんて惨めで寂しい人間なんだろう。そんな見ざる聞かざるの男になど誰も興味を持たない。そして、時が経つにつれて人は離れていくだろう。

今思えば、元カノとは「お互いに感じ続けていた違和感を相談し合えなかったこと」が原因で別れた。別に未練もクソもないが、もし僕が”相談”出来る人間だったら…と思うと情けなくなる。

 

さあ、僕はどうするべきなんだい!!

学生生活終了まで残り4ヶ月を切った。

僕は確信していることがある。このまま”相談”できない人間のままだといつかは心がパンクしてしまう。僕が大好きな友人たちを失ってしまう。

それだけは絶対に嫌だ。

だから僕は自分に宿題を出そうと思う!

 

【学生最後の宿題】

内容:人に相談できるようになる。

期限:2020年3月31日まで

備考欄:たくさんの友人たちに囲まれた今が最後のチャンスだと思え!今いる友達を失いたくなければいつでも相談できる人間になれ!

 

いや、コレくっそ難しいのよ。

でも相談できるようになりたい。

なんならこの記事を発信することでみんなに(超遠回しに)相談したいって相談してることになるのではなかろうか。

ということで僕はこの記事を”相談”するための第一歩としたい。

 

だからこの記事を見た人たちは気軽に相談に乗ってくれると助かる。まずは僕から相談できるように殻を打ち破る必要性があるけどね。

2019/12/4 僕の本当の気持ち

本当の気持ちってどこにあるんだろう。

 

そう考えたことが誰もは一度はあるはず。

 

僕の中の本当の気持ちは僕の中にしかないと思っていて、誰かの前で言葉にした瞬間からその気持ちは僕の手から離れた無責任な気持ちになると思っている。

 

抽象的すぎて何を言っているかわからないだろうから例を出そう。

例えば僕がAちゃんのことを好きだったとする。それをずっと僕が自分の中に秘めていていざ告白のタイミングではじめて言葉にする。それは僕の本当の気持ちだと思う。

 

しかし僕がAちゃんのことが好きで、それを親友のBくんに相談したとする。そしてBくんからアドバイスを受け、その末にAちゃんに告白する。

これは僕の本当の気持ちだとは思えない。変にめんどくさい性分だとはわかっているが、Aちゃんへの気持ちをBくんに相談した時点で自分の気持ちにBくんの意見が混ざり込み、Aちゃんへの気持ちは純粋に僕の本当の気持ちではなくなってしまうのではないのかと思ってしまうのだ。

 

もちろん人に相談した方が簡単に物事が進むことは確かだ。しかし何でもかんでも相談するべきではないと僕は思う。

 

進め途中の企画で内容に不備が見つかったらすぐに相談すべきだ。でも恋愛相談はすべきでない。好きなら好きで心の中で硬く決心していればなんら問題ないのではないか?振られようが好きでい続ければいいのではないか?僕はそう思ってしまう。

 

僕自身、恋愛相談に乗って欲しいと言われることが度々あるが、なるべく僕個人の意見が混ざらないように客観的にみた意見を述べるように気を使っている。

 

現代において人への相談は気軽になった。LINE1本ですぐ相談できる。ただその代わりに本当の気持ちが減ってきているのではないだろうか。自分の気持ちは大切にすべき。人を頼る際の分別をつけれるようになりたいと僕は思う。

2019/12/3 新しい相棒はヌオー

つい先日、10日遅れで僕もガラル地方へ到着した。

僕自身ポケモンを改めて始めたのが3年前。今でもよく覚えている。

 

「お前、俺と一緒にポケモンマスター目指さないか?」

 

 

僕が一番お世話になっている先輩が電通もびっくりするようなフレーズ言い放ち、僕は心を打たれ、2DSとポケットモンスターサンを購入した。これが始まりだ。

僕が最後にやったポケモンはエメラルドなので実に10年超。当時350匹程度だったポケモンは800を超えていた。僕にとってはどいつもこいつも新顔だ。

最初にこいつ育てておけば大丈夫と言われガブリアスを作ったがレートでは一回も使わなかった。見事に腐ったな。

そこから約3年の月日が立ち僕は阿修羅と呼ばれるポケモンレート環境の最終局面で戦い続けていた。僕にポケモンを勧めた兄貴は早々にリタイアしていたが僕だけは戦い続けていた。今思うとよくやっていたものだ。今では知らないポケモンはいないし、なんなら兄貴より詳しいかもしれない。

 

今作では互換切りがあり、旧作の半分のポケモンしかガラル地方行けていない。僕がアローラでともに戦い続けてきたアーゴヨンハッサムもいないのだ。正直悲しい。なんならバシャーモラグラージもいない。ガラル地方の戦略としてはかなり閉じられた世界になると思われる。

 

そして今日僕は厳選を終え、ついにレートに潜る。これは大きな一歩だ。自分の考えたパーティがどこまで通用するのか、僕のアローラでの戦いは意味を成すのか。ワクワクが止まらない。

2019/11/25 後輩の成長を感じる時が先輩のいちばんの幸せ

昨日、僕の大学の3キャンパス/計4サークル合同で行われるアカペラライブを見に行った。今回僕は応募していないためお客さんとして参加してきたのだがなかなか面白いものだったので、感想を書き留めたいと思う。

 

僕の所属するサークルからは全7バンドほど参加していたようだ。1バンドを除いてどれも後輩たちが頑張っており、お前そんな真面目にアカペラやってたのか!?ってなることもしばしばだったので新しい発見があった。

中でも後輩たちがアカペラの全国大会出場を目指して組んだ(言い方が悪いかもしれないが)真面目なバンドがいいスタートをきれたような気がして見ていて嬉しかった。

僕も約1年前にアカペラの全国大会出場を目指して一緒に頑張らないか?と誘われたことを思い出して懐かしい気持ちになった。誰にでも新天地を目指すチャンスは巡ってくるんだなぁとその時は感じたものだった。

 

あと4サークルの中でうちのサークルがいちばん上手で正直安心したw同じ一年生でもこんなにもレベルが違うのかと思ったほどだった。しっかりと僕らは指導できていたらしい。なんか1周回って他サークルの子達が惨めに感じたほどだ。

 

これからも後輩たちには上を目指して頑張ってもらいたい。

 

てかアカペラやりたくなるな。次のオーディション頑張ろう。